ゲームタウン
人気ゲーム開発の裏側に迫る振り返り座談会!「ゲームタウン」ができるまで|PROJECT STORY 01
「ゲームタウン」ができるまで
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「当時、FMSをゲームで使っているところなんてほとんどありませんでしたよ」(平野)「でも、仕組みとしては実装されていたんですよね」(小澤)
発売前のソフトウェア「FMS」導入が決まったゲームタウン開発プロジェクト。しかし、前例のないものを「創る」仕事は大変な困難を伴うものだった。
座談会|「ゲームタウン」ができるまで
T中山:情報もなければノウハウもない。メーカーにも情報がないんですから大変ですよ。
P平野:いくつか問い合わせを投げたらアメリカからメールで回答が届いたり、バグ報告にも「そんな報告は他に届いていない」という反応。
T小澤:FMSを双方向コミュニケーションのツールとして使うという発想が、当時ほとんどなかったみたいなんです。しかも日本に何社のクライアントがいたんだろうっていう、当時そんな状況だったんですよ。
P平野:メーカーも動画配信での使用を想定していたみたいで、ゲームで使ってるんですって言うと「へぇ~」と驚かれたりして。まだ誰もゲームで使おうなんて考えてなかった。
T小澤:サーバサイドからの配信だけで、FLASHアップロード自体まだあんまり考えられていなかった時代だったんですよ。ただ、仕組みとしては実装されていたので、それを使ってみようかと。
T中山:ゲームの開発自体は順調でしたね。プロジェクトのスタートは2005年の秋。10月にFMSが出るっていうので、9月ぐらいに着手した記憶があります。
P平野:当初は「年内に麻雀をリリースしてくれ」っていう話で(笑)。どこかのタイミングで「それを強行するとお互い不幸になるからやめましょう」っていう話をさせて頂きました。
T中山:で、アップしたのが3月でしたっけ。移行期間として3月いっぱいゲームパークとゲームタウンを両方上げていて、正式に一本化したのが4月でした。
P平野:実質半年ないぐらいですか。その時点ではゲームが7本上がってました。
P本間:このときは、いつのまにか社内の全員が関わってましたよ。サーバ担当とクライアント担当、2人ずつ消えていくんですよ。私もテストとかには参加していました。
P平野:最終的には3ライン同時に動かしてましたね。
T小澤:このとき、「ゲームパーク」のシステムはもうOSのバージョンアップなどについていけてない状態で、ユーザサポートへの負荷が非常に大きくなっていたんですね。アプリケーションもどんどん直していかなければならなくて、とても手が回らない状況でした。サービスの停止時間が長いのも死活問題で、それで急いでいたという事情もありました。
T中山:イメージですけど、会員管理などのバックエンド部分はすんなりいった気がしますね。
P平野:堅実をモットーにしておりますので(笑)。
T小澤:基本的に、サポートの負荷を下げるということはオーダーしていました。サービス開始直後はあんまりサポートの量は変わらなかったんですよ。ただ、以前は未来が見えないサポートだったものが、1つずつ潰していけば安定稼働できるという、希望の見えるものでしたから。その点は大きな違いでした。実際もうすぐ稼働して3年になりますが、大きな改修もなくよくここまで動いているなぁというのが正直なところです。
「お正月にシステムが落ちたときは参りました。東京に関係者が誰もいない」(小澤)
P平野:今はもう落ち着いたので2週に1回になりましたけど、少し前までは毎週定例会を開いていましたね。進捗の確認と、デバッグの優先順位の擦り合わせを毎週木曜に行っていました。
T中山:ただ初期の頃はデバッグというよりも、調査業務が多かった気がしますね。
P平野:結局、ユーザさんからいろんな問題が挙がってきて、バグかと思って調べてみたら麻雀のローカルルールだった、とか(笑)。
T小澤:まだユーザさんが成熟段階に入ってなかったんでしょうね。それぞれが独自のルールを持っていて、そのまま対戦してしまうので。
T中山:ルールページの改修もよくやりましたよね。
T小澤:でもみなさん、ルールページなんて関係ないんですよね。
P本間:誰もが知ってるゲームですから、ルールなんて読まずに始めちゃいますからね。で、俺の知ってるルールと違う!と。私もテストで参加したとき同じことを言いましたから(笑)。
T小田島:最近は、チャットなどコミュニケーション上のトラブルの相談が多いですね。
P平野:その辺に関しては、弊社の方では「チャットのログをきちんと取りましょう」というご提案をさせて頂いて、ログの調査をしやすいように工夫しています。
T小澤:結局、バグというよりも問題はFMSの仕様なんですよね。長時間立ち上げっぱなしで使うと固まってしまったり、ストリーミングとして使う分には問題ないんですけど、コミュニケーションツールとして使うとなると問題が起きる。何度かマイナーバージョンアップされたものを試してみたら、致命的なサービス停止の原因になってしまったり。それ以来、FMSのバージョンアップは鬼門になってしまいました。
P平野:FLASHプレーヤーのバージョンもどんどん上がりましたし、その辺の対応は少し大変でしたね。
T本間:一番困るのは、このバグがこちらのミスなのか、乗っかってる技術自体が悪いのか分からないっていう部分ですね。
P平野:小澤さんが旅行に行くとサーバが落ちる、というジンクスもありますよね(笑)。
T小澤:そうなんですよ。それまで何ヵ月も安定していたのに、私が海外に行ってる間に落ちるとか、2ヵ月ぶりに有給休暇を取ったら落ちる、とか。一度、1月1日に落ちたときは大変でした。
P平野:2008年の1月1日ですね。ちょうど前年の12月に共通ID(SSO)への移行を済ませて、初めての月の変わり目が1月1日だったんですよ。私が栃木にいて、小澤さんは秋田、技術者は福岡。みんな帰省していて、誰も東京にいない(笑)。リモートでなんとかその日のうちに復旧できましたけどね。
T小澤:私は親戚の家で、宴会やってる横でパソコン借りて作業してました。
P平野:私は5年ぶりに祖母に会ってるときだったかな。技術者は結婚したばかりの奥さんの実家で作業するという、複雑な状況だったようです(笑)。
「SSOを依頼したのはプロファイアさんだから。システム開発を委託できる会社は貴重です」(中山)
T小澤:でもこの案件に関しては、私はプロファイアさんには非常に満足しています。主体的に考えてくれるところがいいですね。細かい優先順位の相違はありましたけど、定期的にミーティングを持つことで解決できましたし。
T中山:私の場合バックエンド側を見ることが多いんですが、そこが堅かったのは驚きました。だから共通ID(SSO)の部分もお願いできたっていうのはありますね。システム開発を委託できる会社さんっていうのは貴重なんですよ。
T小澤:コンテンツ部分を委託することは多くても、システム的なところは不安もあるので自社のエンジニアがやってしまうことが多いんですよね。
T中山:一番最初はシステム屋さんっぽい雰囲気はぜんぜん感じなかったんですけど(笑)
P平野:いま思えば、けっこう無茶なご提案もしてるんですよね。それを受け入れて頂けたのは私たちとしても大きかったですね。例えばFMSの件もそうですし、「ゲームパーク」からデータを「引き継がない」ということもそう。
T中山:「ゲームパーク」のシステムが禁則文字もIDとして許容してしまうシステムで、引き継ぐべきでない作法の悪いデータも多かったんです。それは私の方でも気になっていたので、言われたときは納得でした。逆に引き継いでいたら、SSOに移行するときうまくいかなかったんじゃないかなと思いますね。
T小澤:私がSSOをやることになったとき、一番やりやすいのはどこだろうと考えて浮かんだのが、プロファイアさんでした。
T小田島:みなさんのお話を聞いていると、今がかなり安定しているんだなぁと思いました(笑)。私は最近担当になって分からないことも多いんですが、いつも分かりやすく説明してくれるので助かってます。
T小澤:でも稼働して3年になりますから、そろそろ次のシステムを考えないと(笑)。
P平野:中には一度システムを納品したら永遠に動くもんだと思っているクライアントさんもあるので、「そろそろ次を考えないとね」っていうお話ができるのは、私たちにとってもありがたいですよ。
T小澤:サーバサイドからの配信だけで、FLASHアップロード自体まだあんまり考えられていなかった時代だったんですよ。ただ、仕組みとしては実装されていたので、それを使ってみようかと。
T中山:ゲームの開発自体は順調でしたね。プロジェクトのスタートは2005年の秋。10月にFMSが出るっていうので、9月ぐらいに着手した記憶があります。
P平野:当初は「年内に麻雀をリリースしてくれ」っていう話で(笑)。どこかのタイミングで「それを強行するとお互い不幸になるからやめましょう」っていう話をさせて頂きました。
T中山:で、アップしたのが3月でしたっけ。移行期間として3月いっぱいゲームパークとゲームタウンを両方上げていて、正式に一本化したのが4月でした。
P平野:実質半年ないぐらいですか。その時点ではゲームが7本上がってました。
P本間:このときは、いつのまにか社内の全員が関わってましたよ。サーバ担当とクライアント担当、2人ずつ消えていくんですよ。私もテストとかには参加していました。
P平野:最終的には3ライン同時に動かしてましたね。
T小澤:このとき、「ゲームパーク」のシステムはもうOSのバージョンアップなどについていけてない状態で、ユーザサポートへの負荷が非常に大きくなっていたんですね。アプリケーションもどんどん直していかなければならなくて、とても手が回らない状況でした。サービスの停止時間が長いのも死活問題で、それで急いでいたという事情もありました。
T中山:イメージですけど、会員管理などのバックエンド部分はすんなりいった気がしますね。
P平野:堅実をモットーにしておりますので(笑)。
T小澤:基本的に、サポートの負荷を下げるということはオーダーしていました。サービス開始直後はあんまりサポートの量は変わらなかったんですよ。ただ、以前は未来が見えないサポートだったものが、1つずつ潰していけば安定稼働できるという、希望の見えるものでしたから。その点は大きな違いでした。実際もうすぐ稼働して3年になりますが、大きな改修もなくよくここまで動いているなぁというのが正直なところです。
「お正月にシステムが落ちたときは参りました。東京に関係者が誰もいない」(小澤)
P平野:今はもう落ち着いたので2週に1回になりましたけど、少し前までは毎週定例会を開いていましたね。進捗の確認と、デバッグの優先順位の擦り合わせを毎週木曜に行っていました。
T中山:ただ初期の頃はデバッグというよりも、調査業務が多かった気がしますね。
P平野:結局、ユーザさんからいろんな問題が挙がってきて、バグかと思って調べてみたら麻雀のローカルルールだった、とか(笑)。
T小澤:まだユーザさんが成熟段階に入ってなかったんでしょうね。それぞれが独自のルールを持っていて、そのまま対戦してしまうので。
T中山:ルールページの改修もよくやりましたよね。
T小澤:でもみなさん、ルールページなんて関係ないんですよね。
P本間:誰もが知ってるゲームですから、ルールなんて読まずに始めちゃいますからね。で、俺の知ってるルールと違う!と。私もテストで参加したとき同じことを言いましたから(笑)。
T小田島:最近は、チャットなどコミュニケーション上のトラブルの相談が多いですね。
P平野:その辺に関しては、弊社の方では「チャットのログをきちんと取りましょう」というご提案をさせて頂いて、ログの調査をしやすいように工夫しています。
T小澤:結局、バグというよりも問題はFMSの仕様なんですよね。長時間立ち上げっぱなしで使うと固まってしまったり、ストリーミングとして使う分には問題ないんですけど、コミュニケーションツールとして使うとなると問題が起きる。何度かマイナーバージョンアップされたものを試してみたら、致命的なサービス停止の原因になってしまったり。それ以来、FMSのバージョンアップは鬼門になってしまいました。
P平野:FLASHプレーヤーのバージョンもどんどん上がりましたし、その辺の対応は少し大変でしたね。
T本間:一番困るのは、このバグがこちらのミスなのか、乗っかってる技術自体が悪いのか分からないっていう部分ですね。
P平野:小澤さんが旅行に行くとサーバが落ちる、というジンクスもありますよね(笑)。
T小澤:そうなんですよ。それまで何ヵ月も安定していたのに、私が海外に行ってる間に落ちるとか、2ヵ月ぶりに有給休暇を取ったら落ちる、とか。一度、1月1日に落ちたときは大変でした。
P平野:2008年の1月1日ですね。ちょうど前年の12月に共通ID(SSO)への移行を済ませて、初めての月の変わり目が1月1日だったんですよ。私が栃木にいて、小澤さんは秋田、技術者は福岡。みんな帰省していて、誰も東京にいない(笑)。リモートでなんとかその日のうちに復旧できましたけどね。
T小澤:私は親戚の家で、宴会やってる横でパソコン借りて作業してました。
P平野:私は5年ぶりに祖母に会ってるときだったかな。技術者は結婚したばかりの奥さんの実家で作業するという、複雑な状況だったようです(笑)。
「SSOを依頼したのはプロファイアさんだから。システム開発を委託できる会社は貴重です」(中山)
T小澤:でもこの案件に関しては、私はプロファイアさんには非常に満足しています。主体的に考えてくれるところがいいですね。細かい優先順位の相違はありましたけど、定期的にミーティングを持つことで解決できましたし。
T中山:私の場合バックエンド側を見ることが多いんですが、そこが堅かったのは驚きました。だから共通ID(SSO)の部分もお願いできたっていうのはありますね。システム開発を委託できる会社さんっていうのは貴重なんですよ。
T小澤:コンテンツ部分を委託することは多くても、システム的なところは不安もあるので自社のエンジニアがやってしまうことが多いんですよね。
T中山:一番最初はシステム屋さんっぽい雰囲気はぜんぜん感じなかったんですけど(笑)
P平野:いま思えば、けっこう無茶なご提案もしてるんですよね。それを受け入れて頂けたのは私たちとしても大きかったですね。例えばFMSの件もそうですし、「ゲームパーク」からデータを「引き継がない」ということもそう。
T中山:「ゲームパーク」のシステムが禁則文字もIDとして許容してしまうシステムで、引き継ぐべきでない作法の悪いデータも多かったんです。それは私の方でも気になっていたので、言われたときは納得でした。逆に引き継いでいたら、SSOに移行するときうまくいかなかったんじゃないかなと思いますね。
T小澤:私がSSOをやることになったとき、一番やりやすいのはどこだろうと考えて浮かんだのが、プロファイアさんでした。
T小田島:みなさんのお話を聞いていると、今がかなり安定しているんだなぁと思いました(笑)。私は最近担当になって分からないことも多いんですが、いつも分かりやすく説明してくれるので助かってます。
T小澤:でも稼働して3年になりますから、そろそろ次のシステムを考えないと(笑)。
P平野:中には一度システムを納品したら永遠に動くもんだと思っているクライアントさんもあるので、「そろそろ次を考えないとね」っていうお話ができるのは、私たちにとってもありがたいですよ。
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